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特別編第三章 古代国家と蝦夷

第三章

古代国家と蝦夷(えみし)

700年代のはじめ頃、宮城県北部から北の地域は、中央政府の支配が直接及ばない場所であり、そこに住む人々は蝦夷(エミシ)と呼ばれていました。 蝦夷を従え支配領域を拡大するため、中央政府は東北各地に城柵を設置し、多賀城はその中心としての役割を担っていました。 城柵は蝦夷支配の拠点であり、施設全体を築地塀(ついじべい)や材木塀(ざいもくべい)などによって囲み、行政と軍事の機能を持っていました。

多賀城跡 西側上空から(画像提供:東北歴史博物館)

中央政府の支配の拡大と城柵分布図

清水寺縁起絵巻(きよみずでらえんぎえまき) 上巻に登場する蝦夷の人々(参照:TNM Image Archive)

蝦夷討伐時に朝廷軍と戦う蝦夷の人々が描かれています。


発掘調査で見つかった多賀城跡の材木塀(画像提供:東北歴史博物館)

多賀城跡外郭東辺の南端部は湿地だったため、築地塀の代わりに材木塀が設置されました。

(問)埋蔵文化財調査センター  TEL368-0134

  • 多賀城創建記念