歴史の風 36 〜救出された資料〜
歴史の風 36
〜救出された資料〜
東日本大震災後に救出された資料については、整理・登録活動を現在も継続しており、その総数は4000点を超えました。
資料で最も多かったのは、文書・日誌類で、次いで書籍・新聞頚、封書・葉書類でした。これらの資料は、全体の約70パーセントを占めます。続いて衣・食・住に関わるものとして飲食器、家具・調度品、婚礼用具、生産・生業の機織(はたお)り用具が多くみられました。今回は、これらの資料のいくつかを紹介します。
文書の代表的なものとして、「天童家文書」があげられます。天童家は頼澄の時に伊達政宗にに仕え、八幡村の領主となりました。被害を受けた文書には、同家に伝わる系図や小割帳(こわりちょう)などがありました。
旧大代村を南北に縦断する貞山運河の横断には、はしけ船が用いられていました。「渡辺家文書」には、明治になって橋を架けてほしいという村民から宮城県への請願が何度も提出された記録が残されており、村民の熱い思いがうかがえる資料です。
その他にも、明治時代の新田村絵図、日露戦争従軍日誌、第二師団参謀部作成2万分の1地図(宮城・福島県内)、日本海海戦や講和会議を含む河北新報の日露戦争関連記事、明治時代発刊の大日本史・論語・教科書などの書籍類、各地の写真集など、貴重な資料が数多くあります。
飲食器や婚礼用具には、盆・膳・椀・盃・角樽などがあり、結婚・出産などのお祝い事や法事などが各家で行われた頃の様子を今に伝えています。たんす、鏡台、屏風(びょうぶ)、扁額(へんがく)掛軸などの家具や調度品は、それぞれの家庭の歴史を感じさせてくれます。
戦時関係では、軍服をはじめ軍刀、水筒、ゴーグル、出征兵士を送る幟(のぼり)などがありました。
生産関係では機織り用具があり、この資料からかつては市内でも養蚕(ようさん)が行われていたことがわかりました。この他、草切り機や縄ない機などの農具や堆肥などを運搬する荷馬車などもありました。