歴史の風 37 ~市内所在の倉の分布と種類~
歴史の風 37
~市内所在の倉の分布と種類~
本市ではこれまで、市内に所在する倉の建築学的・歴史的価値に注目し、分布や実態把握につとめてきたところですが、東日本大震災により傷んだ倉を解体したいとの意向を聞き、改めて実態把握と保全を目的として、市内全域を対象とした倉の調査を行いました。
その結果、200棟を超える倉を確認し、その分布は、南宮・八幡・市川・新田・山王・高崎・高橋・留ケ谷地区など市内全域に広がっています。特に、芭蕉の辻(仙台市国分町)から鹽竈神社へと続く塩竈街道沿いの南宮・市川地区に集中し、また、江戸時代、仙台藩準一家に列せられた天童氏とその家臣が居住した八幡地区にも多くの倉が分布しています。
さて、ひとくちに倉といっても、板材を組み合わせた板倉、方形に加工した石を積み重ねた石倉、壁を土や漆喰(しっくい)などで塗り固めた土蔵など、さまざまな種類があり、七割以上を板倉が占めています。
本市には、柱間隔が極端に狭く、柱と柱の間に板をはめ込んでいる「繁柱(しげばしら)板倉」に類似するものがあります。このような倉は、江戸時代の気仙地方(現在の陸前高田市)が発祥の地と言われる「気仙大工」の技術によるものと考えられており、これまで岩手県南から宮城県北に分布することが分かっていました。今回の詳細な調査で改めてこの形状の板倉を確認したことから、「繁柱板倉」の分布が本市にまで及んでいた可能性がでてきました。
市内の倉は、江戸時代からの伝統を現代まで受けついだ貴重な歴史的建造物と言えます。次号からは、各地域の倉と保管されていた資料についてさらに詳しく紹介していきます。