歴史の風 49 ~荒脛巾神社~
歴史の風 49
~荒脛巾神社~
塩竈市との境界に近い、市川字伊保石に荒脛巾(あらはばき)神社があります。塩竈街道から南に入る小道を下ると西向きの鳥居があり、その東側の民家の敷地の奥に、養蚕神社と太子堂に挟まれて西向きの社殿があります。この神社は、古くから足の神様として信仰されており、靴や草履などの履物が数多く奉納されています。
この神社については、安永3年(1774年)に作成された「市川村風土記御用書出」に次のような記載があります。
「(所在地の)小名は荒脛巾で、太宰九吉様の知行所。誰がいつ勧請したかは不明であるが、14ある鹽竈神社の末社の一つ。この神社に祈願し成就した場合は脛巾を納めるという」
社名にもなっている脛巾(はばき)とは、旅支度の際、脛(すね)を保護するために巻きつける布のことであり、書出に見られる脛巾を奉納する習わしは、靴や草履に形を変えながらも今日まで受け継がれています。
ただし、現在では足に限らず、腰から下の病気に効き目があるとして、性病や婦人病に悩む人々からも信仰されており、男性の性器をかたどったものも数多く奉納されています。
この神社の規模について、書出では「五尺四面(桁行・梁行ともに五尺)」と記載されていますが、現在の社殿は梁行約4尺、桁行4尺5寸となっています。屋根をはじめ各所に腐朽が進んでいるようですが、虹梁(こうりょう)(弓形に反った梁はり)などの建物意匠は、安永期(1772~1780年)頃の様式と考えられており、市内に現存する数少ない江戸時代の神社建築として貴重です。
書出には、藩主重村が二貫文(米約2000升)の社領を寄進したという記載もあり、仙台藩によって保護されていた様子も伺うことができます。
塩竈街道からの入り口には、荒脛巾神社へ参詣する人々のための道標が3基立っています。その内の1基は寛政8年(1796年)に造立されたものであり、街道から奥まった場所に鎮座する本社への案内役を担い、今日に至っています。