歴史の風 69 ~八幡の契約講~
歴史の風 69
~八幡の契約講~
契約講とは、生活のさまざまな面で機能する相互扶助の組織です。仲間内での決まり事の相談や、金銭の貸与が行われていましたが、特に大きな役割は葬式の手伝いでした。今のような葬式になる前までは、墓穴掘り、棺担ぎ、喪家の関係者への訃報の通知などの役を契約講が担っており、なくてはならない存在でした。
八幡では、現在でも活動を続けているもの、すでに解散したものを合わせて、8つの契約講の存在が確認されています。これらの中には、本家・分家・先祖の身分の違いによって集まった階層的なものと、同じ地域で集まった地域的なものとがあり、八幡の人々の暮らしの基本的な単位になってきました。
階層的なものとしては、4つの契約講が確認されています。最上位として知られていたのが、江戸時代八幡村に在所(ざいしょ)を拝領した天童氏とその家臣を先祖に持つ家によって組織された清和(せいわ)契約会です。この契約講は、天童家と旧家臣の中でも主に本家筋の家が加入していたとされています。この他に、八幡では足軽契約と百姓契約という呼び名で知られた契約講がありました。これらが現在把握できているどの契約講を指したものなのかは明らかになっていませんが、旧家臣の家から分家した家が多く入っているものや、天童氏が在所を拝領する前から八幡にあったとする家によって構成されるものがあり、これらがそれぞれ対応する可能性があります。また、分家したばかりの家によって新たに昭和初期に結成されたものもあり、これが八幡では最も新しい契約講であるとされています。
地域的なものとしては4つの契約講が確認されています。字馬場を中心としたもの、八幡沖地区の中谷地・宮内・原契約講がこれにあたります。
このように身近な存在であった契約講ですが、火葬の普及、会館での簡易的な葬式への変化によってその必要性が薄くなり、ほとんどが解散してしまいました。しかし、平成15年まで続いていた清和契約会や、現在も活動している八幡沖地区の3つの契約講では、講員が互いの関係性を確認し、深める役割を果たしてきました。