歴史の風 79 〜下馬の山の神講〜
歴史の風 79
〜下馬の山の神講〜
美里町(旧小牛田町)にある山神社は、子授けや安産の御利益で知られています。この山神社を信仰する山の神講は、県内に広く分布しており、下馬地区にも5人の女性が加入する講があります。かつて、市内でも地域ごとに多くの山の神講があり、結婚した若い世代の女性たちが加入していました。多くの場合、嫁いでしばらくすると姑から引き継がれて講の仲間入りをしましたが、徐々に嫁への代替わりがなされなくなりました。そのため、講員の高齢化が進み、平成に入ってから解散する講が増え、現在まで続いているのはごく少数になっています。
下馬の山の神講は、旧沖区の中谷地から下馬に移転した家の女性たちによって構成されています。中谷地は現在の桜木南から桜木東にかけて広がっていた旧沖区を構成する三つの集落の一つで、戦時中この一帯に多賀城海軍工廠が建設されることになり、住民は移転を強いられました。この時、中谷地の人々の多くは現在の八幡沖地区や下馬地区に移転したという歴史があります。
中谷地には移転前から山の神講があり、当番にあたった家に集まって山の神様の掛軸を拝んでいたようです。しかし、集落の解体によって講員は各地に移転したため、活動は休止し、掛軸の行方も分からなくなっていました。
しかし、しばらくして下馬に移転した家から掛軸が見つかり、これを契機に同じように中谷地から下馬に移転してきた家の女性たちによって活動が再開されました。嘉永6年(1853年)の銘があるこの掛軸は、毎年3月12 日前後に行われる集まりで拝まれ、終わると次の当番へと手渡されます。裏面には旧中谷地で活動していた当時の女性たちの名前が記されており、今はない集落の信仰のかたちや、人々のつながりを垣間見ることができます。
中谷地の集落がなくなってから久しい今、当時を知る人も年々少なくなっていますが、人々のつながりや信仰は現在にも受け継がれています。山の神講も、出産や子育ての祈願を行う本来の姿からは変化してしまいましたが、今はない故郷をしのび、古くから支えあって生きてきた仲間との絆を確認し合う重要な役割を果たしています。