歴史の風 81 ~天満宮と留ケ谷契約講~
歴史の風 81
~天満宮と留ケ谷契約講~
留ケ谷の鎮守の神様である天満宮は、地域の人々から「天神社」「お天神様」「太郎天神」という呼び名で親しまれ、信仰を集めています。元は留ケ谷の旧家、櫻井家の氏神として屋敷内で祀られていましたが、いつの時代にか、鎮守の神様として村の共有地に迎えられ、村の人々で祀るようになったと伝えられています。
この天満宮を、中心となって祀っていたのが留ケ谷契約講です。この契約講は「第一契約」や「一の契約」とも呼ばれ、宝暦12(1762)年からの記録が残る留ケ谷で最も大きい契約講でした。天満宮が鎮座する土地も契約講の共有地であり、平成15年頃に解散するまで、祭祀や社殿の建て替えをはじめ、日常の維持管理に至るまで、共同で行っていました。現在は櫻井家が中心となって月参りや社殿の管理を行っています。
4月15日の祭日には、塩竈市の祓ケ崎(はらいがさき)稲荷神社の神職(しんしょく)による祈祷(きとう)が行われます。この日は参道に三対六流れの幟(のぼり)があがり、櫻井家に関係のある人々や契約講の元講員、地域の人々が集まります。幟は二対が天満宮に奉納されたもので、それぞれ奉納した家で保管して、祭日の早朝にその家の人が上げに来ます。また、例祭前夜には、集まった人々が拝殿で酒を酌み交わす慣わしとなっており、これをオヨゴモリ(お夜籠り)やヨマツリ(夜祭り)と呼んでいます。
契約講は解散しましたが、祭りの間天満宮に足を運ぶ人々の様子からは、時代が変わっても続く、地域の人々のつながりをみることができます。咲き始める境内の桜の下、年に一度のにぎわいに、変わらぬ信仰の深さがうかがえます。