歴史の風 86 ~田中村 三所宮~
歴史の風 86
~田中村 三所宮~
東田中一丁目の住宅地の中に、三所宮(さしょのみや)と呼ばれるお宮があります。この周辺には伊藤を名乗る家がまとまっており、三所宮は伊藤本家やその分家によって祀られています。
三所宮は、もとは現在地から約90メートル南の小高い丘にあったとされています。しかし、その場所が水害にあったため、現在地に移動したということです。移動した時期は定かではありませんが、現在でもこの場所はお宮の場所と同じように三所宮と呼ばれています。
現在、この「三所宮跡」には、「蛇王権現(じゃおうごんげん)」と蛇が刻まれた大正12年の供養塔と、「奉修霊三所宮大明神」と刻まれた昭和7年の供養塔が立っています。いずれも奉納者名は伊藤氏であり、伊藤家の信仰の深さをうかがうことができます。
三所宮は、安永3(1774)年の「風土記御用書出(ふどきごようかきだし)」には、三所明神社という名称で書き出されており、三所ノ宮という小字にあって、村の鎮守の神様であり、村の空地にあって、別当(べっとう)はいないとされています。しかし、代々伊藤本家が別当を務めていたと言い伝えられており、いつの頃からか伊藤家の氏神として祀られるようになったようです。
祭日は旧暦9月9日で、この日にちは風土記に記されている祭日と同じです。現在はこの日の前後で人が集まりやすい週末に行われており、前夜にはオヨモリと呼ばれる集まりがあります。オヨモリは、周辺にある6戸の伊藤家の人々が集まり、供物を持ち寄ってお宮の前で飲食をともにします。次の日は、各家庭で供物を持って参拝をすることになっています。
祭日以外でも、伊藤家の人々は病気平癒(へいゆ)の願掛(がんかけ)、出産の報告などでもここに足を運びます。かつては村の鎮守として田中村の人々に信仰された三所宮ですが、現在は伊藤家の人々によって、人生の節目や日々の生活の中で心を寄せる場所として大切に守られています。