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歴史の風 100 〜新田の山の神信仰〜

歴史の風 100

〜新田の山の神信仰〜

山の神は、山を統(す)べ、山仕事に深く関わる神、または春に山から下りてきて田の神となり、里に恵をもたらす神など、その土地によって多様な信仰の姿を見せます。市内にもそのような性格を持った神を祀(まつ)る山神塔が多数残されており、かつての信仰の姿を現在に伝えています。

一方、行事や講の活動が継続し、現在でも見ることのできる市内の山の神信仰のほとんどは、子授け・安産の御利益で知られる美里町(旧小牛田町)の山神社(やまのかみしゃ)への信仰です。

新田地区でも、この山の神信仰が現在も受け継がれており、その一つが字北関合の遠藤家で祀られるヤマノカミサン(山の神さん)です。屋敷内に、山神塔1基と子安観音菩薩立像1基が立っており、代々この家でお祀りしてきました。山神塔は文化13(1816)年に12人の女性が建立したもので、「小牛田」と刻まれていることから、山神社への信仰を示すものであることが分かります。

祭日は11月1日で、「奉納/子牛田山神/大正十年十一月朔日/當村/遠藤ヂン」「奉納/子安観世音菩薩/大正十年/十一月朔日/當村/遠藤コマン」と書かれた2旒(りゅう)の幟(のぼり)を掲げ、供物を上げます。供物の中には、円形の紅白の餅を重ねたものがあり、これを食べると安産の御利益があるとされ、近隣の妊婦に配られました。

もう一つは、毎年1月17日に婦人会で行っている講の集まりです。「山の神講」や「お観音講」と呼ばれており、4幅の掛軸を拝んでいます。かつては当番の家に集まっていましたが、現在は公民館で続けられています。また、現在は行われていませんが、講の代表者や、妊娠している講員が山神社へ参拝していました。

市内の山の神信仰が盛んだった頃は、子授け・安産の御利益を求める若い女性がその担い手でしたが、現在はイエの中で世代交代がなされないことなどから、その高齢化が進んでいます。しかし、長年守られてきた信仰はかたちを変えながら現在まで受け継がれ、地域の安全や子どもたちの健やかな成長が祈られています。