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歴史の風 141 ~古代の鉄生産と蝦夷~

歴史の風 141

~古代の鉄生産と蝦夷(えみし)~

 現在の生活道具に欠かせない素材の一つとして「鉄」が挙げられます。古代の鉄は、農具である鋤(すき)・鍬(くわ)の刃先や、官人の威厳を示す装飾品の一部など、さまざまな用途で使用されました。さらに、古代多賀城においては蝦夷政策に関連して武具に使用するなど、政治的・軍事的にも切り離すことができない重要なものでした。

 これらの鉄を生産していた製鉄遺跡が、現在の福島県太平洋沿岸部、中でも北部で数多く発見されています。特に、当時の宇多(うだ)郡現、福島県新地町武井(ぶい)地区)や行方(なめかた)郡(現、福島県南相馬市金沢(かねざわ)地区)を中心に、製鉄遺跡が600カ所以上確認されており、日本でも有数の生産地であったことが分かっています。

 この地で最初に製鉄が行われたのは7世紀後半頃で、成立後間もない陸奥国に、近江国起源の炉が導入されたようです。その後製鉄は、蝦夷との戦争が本格化する8世紀後半から9世紀初頭にかけて最盛期を迎えます。この頃になると、製鉄炉1基あたりから排出される鉄滓(てっさい)(=鉄くず)が数トンから十数トンに及びます。製鉄は、大量の砂鉄・木炭燃料といった資材、製鉄炉や木炭窯、工房などの施設、工人の確保や輸送体制の整備などを要する大規模事業であり、これらは官営で行われていました。その背景には、蝦夷政策に伴う鉄需要の増加が関連していたと考えられます。そしてこれらの生産された鉄は、多賀城をはじめとした城柵に供給され、蝦夷と戦うための武具に加工されたと考えられています。

 また、本市内における製鉄遺跡として、大代地区の柏木遺跡が知られています。柏木遺跡は、8世紀前半頃に操業していた製鉄所と考えられており、木炭窯や鍛冶工房などの製鉄に必要な施設も一緒に発見されています。前述のとおり製鉄は大事業であることから、多賀城による官営と推定され、その重要性から、平成2年には特別史跡に追加指定されました。

(問)埋蔵文化財調査センター TEL368-0134