歴史の風 148 ~文字が語る古代多賀城 – その2 則天文字 – ~
歴史の風 148
~文字が語る古代多賀城 – その2 則天文字 – ~
多賀城市内の市川橋遺跡から、古代に使われた土器(土師器(はじき))が発見され、その土器の表面には墨で「山」と「水」と「土」を合わせたような文字「」が記されていました。現代の漢字使用の基準となる常用漢字表にも見当たらないこの文字は「地」を意味する特殊な文字です。
この文字が生まれたのは、1300年以上前の古代中国です。中国史上唯一の女帝として有名な則天武后(そくてんぶこう)(624~705年)は、唐の国号を周に改めるなど、さまざまな改革を行う中で、独特の文字を創り使用させました。これを「則天文字(そくてんもじ)」といいます。中国国内で15年間使われていましたが、則天武后の没後、使用は禁止されほとんど用いられなくなりました。
しかし、則天文字は、日本で長く使われ続けることとなります。その文字が日本へもたらされたのは、大宝年間(701~704年)の遣唐使(704年帰国)によると考えられています。その後日本各地へ伝わり、役所跡ばかりでなく一般集落遺跡からも、則天文字が記された土器が出土します。市内での出土は市川橋遺跡に集中する傾向があり、「山+水+土」の他にも、「人」を表す「一」と「生」を合成した「一+生」という文字も見つかっています。
このような独特な文字が古代日本で広まり、土器に記されてきたことについては、文字の持つ神秘性、魔力、権威といったものが影響していると考えられています。
(問)埋蔵文化財調査センター TEL368-0134