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歴史の風 12 謎の地下施設~海軍工廠関連施設~

歴史の風 12

謎の地下施設~海軍工廠関連施設~

平成23年7月、東北学院大学工学部キャンパス北側にある高崎遺跡の発掘調査で、切石(きりいし)を積み上げた地下施設やコンクリート基礎の建物跡を発見しました。地下施設はコンクリート製の頑丈なふたでふさがれ、東西30m以上にもわたっていました。ふたを外し地下に潜(もぐ)ると幅・高さとも1mのトンネルとなっていて、コンクリートを流した平らな床が東に延びていました。トンネルを進むと南に枝分かれする箇所があり、その先端部は建物跡と連結していることを確認しました。

多賀城市内でこのような地下施設が発見されたのは初めてのことであり、調査も試行錯誤(こうさくご)を繰り返しながら慎重に行いました。その結果、コンクリート製の床はれんが敷きの床を造り変えたものであることや、その改修の時期は終戦後であったことなどが分かりました。

さて、このように調査が進展するに従い、多賀城海軍工廠(こうしょう)のことが頭をよぎりました。海軍工廠の建設は、軍需(ぐんじゅ)の増大と生産力の拡充を目的として、日本海軍により計画されました。多賀城海軍工廠は昭和14年に建設計画が決定され、昭和19年に大部分の施設が完成したと記録されています。当時、東北学院大学工学部キャンパス周辺には男子工員寄宿舎(きしゅくしゃ)や無線送信所用地など海軍工廠の関連施設が置かれていて、今回発見した地下施設や建物跡は無線送信所用地とされる場所にあることが分かりました。まさに、海軍工廠の関連施設であることが明らかとなったのです。

終戦後、多賀城海軍工廠は現状保持のままアメリカ軍が管理することとなりました。このことを示すように、今回の調査ではアメリカ製の歯磨き粉のふたや、「USA QMC」(アメリカ陸軍需品科(じゅひんか))の刻印があるテーブルナイフが発見されています。

海軍工廠に関する施設は多くが取り壊され、その面影を見ることはほとんどありません。今回発見したこれら貴重な資料も再び地中に埋め戻され、今は静かな眠りについています。