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歴史の風 14 ~出羽三山碑をめぐって~

歴史の風 14

~出羽三山碑をめぐって~

多賀城市浮島字高原の民家の一角に、出羽三山の名が刻まれた大きな石碑があります。建立されたのは嘉永4年(1851年)8月8日、江戸時代も終わりに近いころです。

碑面には、中央に「湯殿山」、そしてその左右に「月山」「羽黒山」の文字が配置されており、湯殿山の文字がひときわ大きいのは、五穀豊穣のご利益が特に優れているという信仰の現れと見られます。それらの下には阿闍梨永仙(あじゃりえいせん)を導師とする世話人人とそのほか16人の名が刻まれています。世話人以下名を連ねた人々は浮島村の住人であり、出羽三山を信仰する「講(こう)」の仲間と考えられます。阿闍梨とは仏法の教えを伝授する師範のことであり、永仙がこの碑の建立にあたり祭礼を取り仕切ったのでしょう。

出羽三山と称される湯殿山、月山、羽黒山は、山形県鶴岡市の北部・東部にそびえる霊山であり、古代・中世には修験者(しゅげんしゃ)の修行の場として知られた存在でした。江戸時代になると民間の人々の信仰も盛んになり、その影響は江戸にまで及んだようです。出羽三山を信仰する人々は、五穀豊穣、村内安全、無病息災などを祈願する「お山懸(やまが)け」に、登山・参拝する人を選抜して送り出しました。参拝できる期間は4月3日から8月8日までであることから、この碑に刻まれた8月8日という日付は、無事祈願の旅を終えた記念の日と考えられます。

ところで、旅の費用には講の掛け金や村人からの餞別(せんべつ)があてられたため、参拝者としては決して気楽な旅ではなかったようです。県内では文久3年(1863年)の黒川郡成田村(大郷町)からの旅について記した「湯殿山道中記」が伝わっており、それによれば往復7日間の行程だったようです。

東日本大震災により、この碑はしばらく倒れたままになっていましたが、地区の人々によって元どおり建て直されることになりました。本年6月17日、羽黒山から来ていただいた導師さん(地元の人々がこう呼んでいました)は、法螺貝(ほらがい)と金剛杖(こんごうづえ)を携え、山伏の装束を身につけて祭礼を執り行いました。

江戸時代後期、出羽三山を信仰した浮島村住人の思いは、碑の建立から約160年を経た今日でも地区住民に受け継がれています。