歴史の風 16 ~塩作りが変えた松島湾の風景~
歴史の風 16
~塩作りが変えた松島湾の風景~
自然環境保護が全国的、さらには世界的な問題として大きく取り上げられている今日、過去における人類と自然環境とのさまざまな関わりは、現代に生きる私たちにとっても学ぶべき点が少なくありません。ここでは、松島湾で縄文時代から約二千年以上にわたって続いた塩作りが、自然環境に大きな変化をもたらし、周辺の風景を大きく変えたという事例を紹介しましょう。
松島湾の周辺に位置する東松島市(旧鳴瀬町)、松島町、利府町、塩竈市、七ケ浜町には、縄文時代から奈良・平安時代にかけて営まれた製塩遺跡が数多く存在し、その始まりは縄文時代晩期、今から約三千年前にさかのぼると考えられています。奈良・平安時代には、国府が置かれた多賀城に多量に搬入されました。
塩作りは、素焼きの土器に海水を入れて煮詰める方法で行われました。湾内の島々の、小さな入り江の浜での塩作りは、海水には事欠かないまでも、その燃料としては島々に生育する樹木が消費されたと考えられます。
湾内の土壌の調査によれば、現在マツが多く見られる松島湾周辺は、もともとはコナラやブナなどの落葉広葉樹が生い茂る土地柄であったとされています。ところが、縄文時代から続く塩作りによってコナラやブナなどは燃料として伐採され、それに代わり、岩場のような土地でも生育しやすいマツなどが育つようになったようです。現在のような松島の景観は、平安時代中頃以降のことと考えられており、鎌倉時代後期頃の絵巻物には、松で覆われた松島の風景が描かれています。
縄文時代から奈良・平安時代にかけて松島湾で行われた塩作りは、長い期間をかけて広葉樹からマツへと植生の変化を引き起こしました。現在私たちが目にする松島の景観形成には、長期間にわたる塩作りが深くかかわっていたのです。
松島湾における考古学的な調査では、塩作りが行われた年代や生産地の広がりなど、多くの興味深い事実を明らかにしましたが、それにとどまらず、自然環境の変化や景観形成の過程まで私たちに教えてくれました。