歴史の風 38 ~倉の建築年代と大工がわかる倉~
歴史の風 38
~倉の建築年代と大工がわかる倉~
現在市内で把握されている倉のうち124棟で、建築された年代を知ることができました。内訳は江戸時代のものが15棟、明治から大正時代のものが66棟、昭和時代のものが43棟です。このうち、棟札や倉の柱材などに、工事の由緒や建築の年月、建築に携わった大工の名前などが記してあったことにより正確な建築年が判明した倉が26棟ありました。さらに棟札が確認できた倉は3棟のみで、ほとんどが柱材などに墨で書かれたものでした。
市内で最古とみられる倉は、市川地区にある板倉で天保6年(1835年)のものでした。そのほか江戸時代に建築された倉は弘化4年(1847年)、嘉永3年(1850年)、文久3年(1863年)のものなどがあり、明治時代では明治3年(1870年)、明治8年(1875年)に建築されたものがありました。一番新しい倉は昭和23年(1948年)のものでした。
年代が判明している倉のうち、年号のほかに大工や石工の名前が記されているものが16棟確認されています。なかには大工の居住地が記されているものもあり、それをみると山王や浮島などの旧多賀城村内、あるいは旧岩切村などの近くの村に、倉を建築する技術を持った大工がいたことがわかります。
また、今回名前が発見された、市川村の大工棟梁高橋栄治、市川村齋三郎、高橋村の鈴木松蔵の3人は、多賀城市史に掲載されている資料「宮城郡村々諸職人渡世之者職道に付請書」に記載されている人物と同一と思われます。この発見は当時の職人たちの活動を知る上で、貴重な成果となりました。