歴史の風 40 ~旧塩竈街道と倉~
歴史の風 40
~旧塩竈街道と倉~
今回は旧塩竈街道沿いの倉についてお話します。旧塩竈街道は仙台城下から岩切を通り、多賀城市内の南宮、山王、市川を抜けて塩竈へ通じる主要な街道です。塩竈で水揚げされた魚介類を仙台城下へ輸送したり、仙台から陸奥総社宮、塩竈神社に参拝したりするための重要な街道でした。この旧街道沿いでは64棟の板倉が発見されています。現在、市内で確認されている板倉が135棟あることから、その多さが際立っています。この街道が人々の生活に大きく関わっていたことがうかがえます。
調査を進めるうちに興味深いことがわかりました。現在、収蔵庫に収められている南宮で以前使われていた神輿には、多賀城の板倉を作ったと考えられる「気仙大工」の特徴がみられることです。気仙大工は陸前高田市で寺院の建築にも携わっていました。その寺院の角には屋根を支えるための垂木と呼ばれる木材を扇状に配置することが知られており、その扇状の配置が、南宮の神輿の屋根にも配置されているのです。これは、この街道に気仙大工の技術を持った大工がおり、その大工が神輿の制作に関わった可能性を示しています。
旧塩竈街道を歩いていると、さまざまな歴史に出会うことができます。岩切駅から倉のある街並みを抜け、多賀城跡や多賀城碑を見学して、陸奥総社宮・塩竈神社を参拝するという伊達家の代々当主や、松尾芭蕉がたどった道を想像しながら歩いてみてはいかがですか。