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歴史の風 43 ~海軍工廠のため移設された倉~

歴史の風 43

~海軍工廠のため移設された倉~

 多賀城海軍工廠(こうしょう)は、太平洋戦争のため航空機用の機銃や焼夷弾などを製造する目的で、昭和18年10月1日に設置された軍需工場です。場所は多賀城の南東部にあたる八幡の沖区(中谷地、原、宮内)、笠神・大代地区であり、その面積は約496万平方メートルという、当時の多賀城村の約4分の1を占める広大なものでした。

 海軍工廠建設にあたり、その用地内に住んでいた人たちは、用地外に移転することを余儀なくされました。この移転は家屋敷のみならず、墓地などを含めた大変厳しいもので、対象者は、八幡、笠神、下馬、伝上山、東田中をはじめ、仙台市、塩竈市、利府町へと移転し、中には北海道へ転居した人もいたということです。

 ところで、この移転先となった地区ではそれぞれ板倉や石蔵を確認しています。そして、八幡・下馬・伝上山・中央地区の倉の中には、海軍工廠用地内の地区から移築されたものもあるということが所有者からの聞き取り調査によって明らかになりました。

 移築されたという倉は比較的規模の大きいものが多く、伝上山地区の板倉は、桁(けた)行き8・19メートル、梁(はり)行き3・77メートルという大規模なものです。約18畳分の広さは、市内で最大の規模となっています。

 また、移築前と同じく、地面に直接石を置いて土台としたものも見られますが、コンクリートの土台に改修されているものも見られます。

 このような板倉は、建設年代が海軍工廠建設以前にさかのぼると考えられることから、70年以上の歴史を持つ歴史的建造物といえます。さらに、本市における太平洋戦争の一こまを物語る歴史資料としても貴重なものです。