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歴史の風 42 ~高崎・留ケ谷・浮島の景観と倉~

歴史の風 42

~高崎・留ケ谷・浮島の景観と倉~

 本市の中央部に位置する高崎・留ケ谷・浮島の3地区は、現在は住宅地が広がる地域ですが、もともとは塩釜方面から延びる緩やかな丘陵の上にできた農村集落でした。

 3地区での江戸時代以降の戸数と人口、家々が分布する場所など、昔のようすを調べてみることにしましょう。

 はじめに、各地区での戸数と人口の推移を、江戸時代の安永年間(1770年頃)、明治8年、昭和11年の3つの時代順にみると、次のようになります。

 ちなみに、現在の3地区の戸数と人口の平均は、1371戸で3475人です。これらの家々は、明治24年の地図でみると、高崎地区では多賀城廃寺跡と化度寺を取り巻くように点在しています。

 次に、留ケ谷地区では、おもわくの橋付近から東北本線塩釜駅方面に向かう道路に沿って、その西側の丘の上に家々が点在します。

 また、浮島地区では、浮島神社の東側と県道の北側から法性院にかけて家のまとまりがみられます。
 倉の分布調査によって、3地区で確認された倉の数は合わせて34棟ですが、それらの所在地は昔の集落の位置とちょうど重なります。また、倉の種類は板倉が約9割を占めます。板倉は密閉性が高く断熱効果に優れているため、米などの穀物の貯蔵に適しており、その特質から、純農村地域であった3地区で広く採用されたと考えられます。

 以上のように、本市で人口の増加が顕著になる昭和年代以前の地区の姿は、映画「となりのトトロ」で描かれているような、昔懐かしい農村の風景が広がっていたと想像されます。