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歴史の風 44 倉のある風景~保存と活用~

歴史の風 44

倉のある風景~保存と活用~

 本市には、板倉・石倉・土蔵合わせて202棟の倉が現存しています。中でも主に穀物倉庫として使用されていた板倉が133棟と多く、純農村地帯の風景がしのばれます。気仙地方(現在の陸前高田市)に起源が求められる「繁柱(しげばしら)板倉」も確認されており、気仙大工とのつながりも考えられています。倉の建築年代は、江戸時代後半から昭和20年代までのものが半数以上を占めており、多賀城の原風景の中で営まれていた、歴史的な建造物といえます。

 さて、市内にある大字名は、江戸時代にあった13の村の名前がもととなっています。安永3年(1774年)の記録を見ると、屋敷の数および人口が特に多いのが南宮・市川・八幡の3カ村であり、現存する倉の数の上位3地区と見事に一致します。

 南宮・市川は、江戸時代の塩竈街道沿いにあり、仙台城下から鹽竈神社へ詣でる多くの人が行き来していました。街道に面した家々には板倉が設けられており、江戸時代以来の佇まいが今も良く残されています。

 八幡は仙台藩準一家の家格を有した天童氏が拝領した地であり、かつては当主および家臣などの屋敷が立ち並んでいました。大正8年に発生した大火後には石倉が多く造られており、地域の辿った歴史を物語っています。

 平成23年3月11日、東北地方を未曾有の大震災が襲い、本市でも多くの人的・物的被害を受けました。倉も例外ではなく、20棟以上が解体せざるを得ないほどの危機的な状況となりました。現在、震災からの復興を図るなか、より多賀城らしさを活かすために、山王・南宮・市川・八幡地区に残る板倉などを保存・活用する取り組みを始めました。また、南宮公園内には、八幡から移築した板倉があり、誰でも間近で見学することができます。

 「倉のある風景」は、本市の歴史を垣間見ることのできる貴重な風景です。新しいものに移ろいがちな現在ですが、先人がつくり、今の暮らしの中で生き続けている風景も、末永く残していきたいものです。