歴史の風 48 ~貴船神社~
歴史の風 48
~貴船神社~
塩竈街道に面した市川字金堀の木立の中、覆堂に守られて貴船(きふね)神社があります。山城国愛宕郡(おたぎぐん)鞍馬村(現在の京都市左京区)にある貴船神社の分霊を祀ったと伝えられており、海上安全、大漁祈願に霊験あらたかな神として知られています。本殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)と呼ばれる形式の、正面・側面とも1間という小型の社殿で、屋根は木羽葺(こばぶき)の切妻造りとなっています。
本殿には棟札が1点納められています。表の面には、「奉造営白山権現宮一宇国家安全万民豊饒所」という主題とともに、施主である市川村金山屋敷の菊池七兵衛、塩竈村の喜惣次永春を棟梁とする宮大工の勘兵衛、与四郎、喜伝次の名が記されています。裏面には、遷宮の導師を務めた神奏院(奏社宮の別当寺)の法印慶康の名と、宝暦6年(1756)12月の年次が確認できます。
この白山権現宮については、安永3年(1774)の「市川村風土記御用書出」に、奏社明神社、荒脛巾(あらはばき)神社、八幡社とともに白山社の名称で記載され、場所は金山、社地は縦・横ともに30間、社は南向きで四面ともに3尺、鳥居は東向きとなっています。
棟札と「市川村風土記御用書出」に見られるように、貴船神社は、江戸時代中期には白山権現、白山社と呼ばれていたことが分かります。しかし、文政5年(1822)に制作された地誌「鹽松勝譜(えんしょうしょうふ)」には「貴船神祠」、文政12年(1829)以前の制作とされる「奥州名所図会」には「貴布禰の社」と表記され、近代に制作された地図や冊子などには「白山神社」と「貴船神社」の名称がそれぞれ使用されています。
平成26年夏、専門家により初めて建築学的な調査が実施されました。部分的に欠損してはいるものの、本殿に施された装飾の意匠や本殿内部に設けられた朱塗りの祭壇はいずれも江戸時代中期の様式であり、棟札の年代とも矛盾しないことが明らかになりました。
貴船神社には、現在でも船をかたどった木製品が多数奉納されています。これは、祈願に訪れた人がその一つを借り受け、祈願成就の後に倍にして返すという習わしによるもので、浜方の人々の信仰のようすを伺うことができます。