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歴史の風 52 ~仁和多利神社~

歴史の風 52

~仁和多利神社~

 仁和多利(にわたり)神社は、笠神(かさがみ)にある神社です。

 後醍醐(ごだいご)天皇の元応(げんおう)元年(1319年)、村内の人々が病門守護神として、村の裏鬼門(南西方向)に勧請(かんじょう)したのが始まりとされています。

 江戸時代には「仁和田里権現(ごんげん)社」と称しており、笠神字上ノ台(うわのだい)(現在の鶴ケ谷。多賀城公園のある丘陵付近)に鎮座していました。神社には、元禄(げんろく)12年(1699年)、宝永(ほうえい)7年(1710年)、元文(げんぶん)4年(1739 年)、文政(ぶんせい)11年(1828年)の棟札が残されており、たびたび建立や修理が行われていたことが分かります。

 明治4年(1871年)、神仏分離令に伴い、権現号を廃して「仁和田里神社」となり、明治11年(1878年)、現在の「仁和多利神社」という名称になりました。

 明治の終わりころになると、笠石神明社(かさいししんめいしゃ)(現在の多賀城中学校東側付近)、牛生(現在の塩竈市牛生(ぎゅう)。江戸時代、牛生は笠神村)の須賀神社を合祀し、さらに、明治42年(1909 年)、大代字船場(おおしろふなば)にあった柏木神社の氏子から仁和多利神社への合祀願いが出され、柏木神社も合祀されますが、柏木神社と須賀神社は昭和36年(1961年)にそれぞれ復帰しています。

 昭和17年(1942年)から多賀城海軍工廠(かいぐんこうしょう)の建設が始まると、大代字中峯(なかみね)(現在の柏木神社の場所)に一時移転することになりますが、昭和25年(1950年)に地元の方々より土地の寄進を受け、現在の場所に遷っています。昭和32年(1957年)には拝殿(はいでん)、昭和44年(1969年)には弊殿(へいでん)が建立されて境内が整えられ、今日に至っています。