1. HOME
  2. コラム
  3. 歴史の風 53 ~柏木神社~

歴史の風 53 ~柏木神社~

歴史の風 53

~柏木神社~

 柏木神社は、本市東部の大代5丁目に所在する神社です。安永3年(1774年)の「大代村風土記御用書出」には、「村鎮守 柏木明神社」として記載されており、その時の社殿は東向き4間作とあります。同書出には、同社が所在する小名を柏木と記しており、舟山万年の「塩松勝譜」には、柏木神社の周囲の樹木はすべて柏の木であったとの記載があります。また、書出では、勧請の時期等不明としていますが、『宮城県神社名鑑』(宮城県神社庁編)には、寛保年間(1741~43年)、宝暦年間(1751~63年)、文政年間(1818~29年)の改修を伝える資料も存在したという記載があります。

 明治4年には、一地方の氏神と仰がれる社として村社に列し、柏木神社となりますが、明治42年には笠神字上ノ台にあった仁和多利神社に合祀されてしまいます。宮城県知事寺田祐之に宛てて、両社の社掌や氏子惣代人が連名で提出した「神社合祀願」が県庁公文書として現存しており、それには合祀の理由として、氏子が少なくて祭祀が行われず、今後維持していく見込みがないと記載されています。

 ところで、この書類には、柏木神社の所在地が大代字船場と記載されており、昭和6年の地図には、現在の大代1丁目の家並みの中に神社の位置が示されています。合祀された後も、社殿は現地に残っていたと考えられます。

 昭和18年9月、笠神の仁和多利神社の一帯が海軍工廠用地になると、仁和多利神社は大代字中峰(現在の柏木神社境内地)に遷宮することとなり、合祀されていた柏木神社は再び大代の地に戻ることとなります。

 昭和35年、氏子の強い要望により、仁和多利神社は新たな社地を求めて笠神に遷宮することとなり、一緒に合祀されていた須賀神社も牛生にそれぞれ復帰したため、柏木神社のみが残ることとなり、現在に至っています。

 現在の社殿は、明治百年記念として新たに造営されたものであり、旧社殿は戦没将兵を祀る社として境内の一角に残されています。