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歴史の風 59 ~笠石神社~

歴史の風 59

~笠石神社~

 笠石神社は、現在笠神1丁目の仁和多利神社境内に祭られていますが、かつては多賀城公園の周辺にあったとされ、昭和42年10月に刊行された『多賀城町誌』には、笠神村という地名の起源として紹介されています。『町誌』には、数個の巨石の傍らにささやかな石宮があり、西向きの門もあったという記載があります。具体的な場所については、現在の鶴ケ谷1丁目の多賀城公園と、その西側の宮城県多賀城分庁舎や大型商業店舗の間と見られる記述となっています。

 別当は、笠神村の板橋酉松、河野嘉吉、後山甚五右衛門の3人でしたが、後には宅地が近い後山氏が管理するようになり、昭和19年、笠石神社の神霊のお告げにより、周囲にあった大石とともに石宮を自宅の庭に移し、同氏の氏神として祭ったという経緯も紹介されています。

 しかし、かつて笠石神社の近辺で生活していた人々による郷土史『古里の笠神を訪ねて』には、現在の多賀城中学校正門前から天真小学校へのぼる坂道の入り口に笠石神社があり、そこに直径約3・3尺、高さ2・2尺ほどの大石と石のお宮が祭られて、幟(のぼり)も立てられていたと記載されています。

 もうひとつ大きな問題があります。仁和多利神社に保管されている明治37年(1904 年)の棟札に、「神明社笠石明神」と記されており、安永3年(1774 年)の笠神村風土記御用書出に記載がある神明社と笠石明神が同一の神社とされていることです。風土記には、笠石神社についての記載はなく、神明社については、所在地の小名が日向、誰がいつ勧請したかは不明であるが、社地は縦横とも五間、社は南向きで2尺作りとあり、地主・別当は新屋敷の久兵衛、祭日は9月19日と記載されています。

 また、「名石」の項に「笠石」という異体の石について記載されていますが、笠石神社については触れられていません。日向という地名については不明ですが、少なくとも笠石神社の祭日3月28日とは異なっており、神明社との関係は、簡単には整理できない問題を含んでいます。