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歴史の風 60 ~多賀神社~

歴史の風 60

~多賀神社~

 多賀神社は、多賀城市市川字六月坂(ろくがつざか)の旧塩竈街道沿いに鎮座しています。この神社は、滋賀県にある多賀神社の分霊を勧請(かんじょう)したと伝えられており、延命長寿を願って、あるいは、頭痛を患う者が平癒(へいゆ)祈願をし、御礼詣りにその者の年の数だけ箍(たが)を供えるなどと伝えられています。神社には今でも竹の箍が多く奉納されている光景が見られ、人々の願いを聞き届けてくれる神様として信仰されている様子が伺えます。

 この多賀神社ですが、いつ頃からこの地にあるのでしょうか。江戸時代の村勢要覧ともいうべき『風土記御用書出(ふどきごようかきだし)』の市川村分(安永3年=1774年作成)には、神社の項に村鎮守奏社明神社(そうしゃみょうじん)、荒脛巾(あらはばき)神社、白山社、八幡社の四社があげられていますが、多賀神社の名は見えません。しかし、その存在を伺わせるいくつかの資料も残っています。その一つが、仙台藩の儒学者である佐久間洞巌(さくまどうがん)が著した『奥羽観蹟聞老志(おううかんせきもんろうし)』(享保4年=1719年成立)です。この中の「多賀城」および「多賀ノ神祠」の二項目で洞巌は多賀神社が多賀城跡の中にあると記しています。二つ目は明治17年の『陸前国神社宝物古器物古文書目録』に収められた市川村多賀神社の目録で、明和9年(1772年)銘をもち、神社の由来を記した棟札(むなふだ)が報告されています。三つ目は多賀神社に残る棟札です。これは嘉永元年(1848年)経年破損していた社を新たに造立した際のものです。これらの資料から、江戸時代、18世紀には市川村に多賀神社が存在していたことがわかります。

 神社はかつて東約100メートルのところにありましたが、多賀城跡の環境整備事業に伴って現在の場所に移されました。移設前の場所に残る二本の杉の木は、かつての参道両脇にあったもので、当時の名残を今に伝えています。