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歴史の風 74 ~大代北区の地蔵~

歴史の風 74

~大代北区の地蔵~

 大代北区の大代公園北側に、中世の板碑(いたび)、山神(やまのかみ)塔、子安観音菩薩像(こやすかんのんぼさつぞう)とともに地蔵菩薩坐像(じぞうぼさつざぞう)が祀(まつ)られており、「北区のお地蔵さん」と呼ばれて信仰を集めています。

 この地蔵像は、もとは仙台港付近にあった中野地区の北新田(きたしんでん)という集落で祀られていました。昭和46年に開港した仙台港の建設工事は昭和42年から始まり、その建設用地になった北新田・沼向(ぬまむかい)・追分(おいわけ)などの集落の住民は、代替地への移転を余儀なくされました。

 現在の北区がある大代字雷神にも、昭和44年頃から多くの人々が移り住みはじめ、この時に地蔵像も一緒に移動されたとされています。当初は県道23号沿いに銭神子安観音(ぜにがみこやすかんのん)と並んで置かれていましたが、道路の拡張工事に伴って現在地に移されました。

 北区に安置されてからは、地元の婦人会が中心となって管理しています。8月23日の祭日には、多くの女性が集まって地蔵像を囲みます。この日は北区やその周辺はもとより、北新田から大代以外の地域に移り住んだ人々も訪れます。現在は仙台市高砂にある誓渡寺(せいとじ)の住職によってお経があげられていますが、以前は子どもたちの奉納舞踊が行われていました。

 北新田にあった時の祀り方を詳細に知る人は少なく、その時々の婦人会長が中心となって祭りのかたちを変化させ、「北区の地蔵」として広く受け入れられるようになりました。

 北新田の地蔵としての歴史を伝えながらも、新たに大代北区の一員として歴史を刻みはじめた地蔵像は、同じ境遇にある人々の信仰の対象として大切に守られてきました。
毎朝替えられる水とお茶、色褪(いろあ)せない手作りの頭巾(ずきん)や半纏(はんてん)、前掛けは、人々が地蔵像へ寄せる信仰の深さを表しています。

 地蔵像は、故郷を離れて北区を共に作り上げてきた人々の強いつながりの象徴として、北区の日々の移り変わりを静かに見守っています。