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歴史の風 95 〜高橋の契約講〜

歴史の風 095

〜高橋の契約講〜

契約講とは、生活のさまざまな面で機能する相互扶助の組織で、多岐にわたる役割がありました。その主なものは葬儀の手伝いで、今のように葬儀社が一切を取り仕切るようになるまで、墓穴掘りや棺担ぎといった役を契約講が担っていたため、なくてはならない存在でした。

高橋地区でケイヤク(契約)と呼ばれる組織は1班から4班まであり、現在でも葬儀の際の受け付けなどを担う他、班によっては、シモン(死門)やネジリッパナといった葬儀の際に必要となる飾り物を作ることになっています。

この4つの班の共有物として、出棺時に打ち鳴らす鉦(かね)が現在でも地域で保管されています。この鉦は昭和8年に12人の女性によって寄贈されたもので、死者が出た家では、使用した後その家で保管し、次に死者が出た家に持って行く決まりになっています。現在は自宅で葬儀を執り行うことが少なくなったため、ほとんど使われることはありませんが、死者が出た家に回すことは続けられています。

現在のケイヤクの活動は、班ごとに葬儀の手伝いを行うのみですが、昭和40年代までは年に一回全ての班が一堂に会し、地域での生活に関わるさまざまな問題について話し合いを行いながら仲間とのつながりを確認していました。

この班の集まりをオオケイヤク(大契約)といい、1戸から1人、主に戸主の男性が参加しました。かつては当番の自宅で集まりが持たれ、参加者は羽織袴(はおりはかま)の正装で臨むなど、厳粛(げんしゅく)な雰囲気の中で講員同士が顔を合わせたといわれています。しかし、徐々に形式が簡略化し、ついに昭和40年代後半には寄り合いは開かれなくなりました。

昭和49年、消えゆく慣習の記録を残そうと、字奈賀済(あざなかざい)の加藤家を会場に、昔ながらのやり方にのっとって寄り合いが再現されました。その時に撮影された数枚の記録写真の中に、往時の契約講の様子をうかがうことができます。