歴史の風 108 〜南宮神社〜
歴史の風 108
〜南宮神社〜
南宮の集落の北側、字色の地の水田の中にチンジンサマ(鎮守様)やイロノゴゼン(色の御前)と呼ばれるお堂があります。
安永3(1774)年の「風土記御用書出」には、美濃国不破郡(現在の岐阜県南部)の南宮神社から金山彦命を勧請したと記されていますが、祭神はこの金山彦命だけではなく、その妻である金山姫神、さらに若(岩)佐姫命の3柱が祀られているとされています。
若(岩)佐姫命は年若い女神で、もとは本市南部の八幡に祀られていましたが、津波で南宮まで流されたところを南宮神社の神様に迎え入れられ、以来ここで祀られるようになったと伝えられています。「色の御前」とはこの若い女神を指し、鎮座地一帯を「色の地」と呼ぶのもこの女神に由来すると考えられています。
南宮には多くの昔話が伝わっていますが、色の御前にまつわる話は多く、南宮の人々がこの女神をとても身近な存在として慕ってきたことがうかがえます。
また、神社を信仰する人たちによるチンジンコウ(鎮守講)という講があり、年に一回、1月9日にヤド(宿)と呼ばれる当番の自宅に集まっていました。かつては、上区と下区にわかれて二つ南宮神社の講があったとされていますが、いつの頃からか一つになりました。男女関係なく一戸から一人が参加する決まりで、解散の直前には、7戸の代表者が「皇南宮大神」と書かれた掛軸を拝んでいました。
平成28年に講員の高齢化などを理由に南宮自治会に祭祀の一切が託され、記録帳や掛軸は今でも集会所で大切に保管されています。
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