歴史の風 116 〜南宮・山王の由来〜
歴史の風 116
〜南宮・山王の由来〜
「南宮」「山王」両村の名はどちらも神社名に由来し、加えて中世にまでさかのぼる、由緒ある地名です。
安永3(1774)年に作成された「風土記御用書出」には、冒頭に「村名ニ付由来」の項目があり、南宮村の書出には、岐阜県不破郡にある南宮神社の分霊を祀った南宮神社に由来すると記載されています。その時期について『多賀城町誌』は、天暦年中(947〜956)のことと記していますが、南宮の地名が初めて資料に登場するのは、 倉時代後期の文暦元(1234)年のことで、本市とその周辺一帯を支配していた留守氏関係の文書の中に「宮城郡南宮庄の内、荒野七町」と記されています。
一方、山王村の書出にも、村名は山王権現 現在の日吉神社 の神号に由来すると書かれており、明治40(1907)年に宮城県が作成した「神社由緒調」によれば、滋賀県大津市坂本にある日吉神社の分霊を勧請したと記されています。『多賀城町誌』はその時期を承平年間(931〜937)と していますが、山王という地名は、天文11~17(1542〜1548)年の間に作成された「留守分限帳」という戦国時代の資料に初めて登場します。
現在の多賀城市域にあった13か村のうち、南宮村、山王村と同様に神社名を村名としているのは、他に八幡村があるのみです。このことは、村人にとって、神社がいかに大きな存在であったかをうかがわせるものといえます。