歴史の風 121 ~浮島の三山講~
歴史の風121
~浮島の三山講~
三山講は、山形県の出羽三山(湯殿山・羽黒山・月山)を信仰する人々の集まりで、市内でも広くその存在が確認されています。昭和50年代に市内で行われた調査の記録によると、かつての三山参りは徒歩での厳しい旅で、出発の7日前から精進して身を清めて臨んだとされています。また、戸主がお参りに行っている間、留守を預かる家族は水垢離(みずごり)をとってその無事を祈りました。
浮島でも三山参りは古くから行われており、字高原にある嘉永4(1851)年の三山塔には、導師(どうし)である阿闍梨(あじゃり)永仙を筆頭に約19人の村人の名前が刻まれ、この時期には講による組織的な参拝が行われていたことがわかります。
現在の講は平成24年に結成したもので、今でも毎年夏に7~8人で三山参りに出かけています。それ以前にも浮島神秘講という30人ほどの講が存在していましたが、平成10年頃に解散し、それ以降地域の人々が集まっての参拝は行われていませんでした。しかし、平成23年の東日本大震災の揺れで三山塔が倒れ、それを据え直す際に羽黒山から修験者を呼んで祈祷を行ったことが契機となり、再び講での浮島の三山講参拝が行われるようになりました。
毎年、三山参りへ出かける前には、字高原の三山塔に手を合わせるしきたりになっており、これは浮島神秘講の時代にも行われていました。江戸時代からこの地に根付く出羽三山への信仰は、時代とともにかたちを変えながら、現在も地域の人々によって受け継がれています。
(問)埋蔵文化財調査センター ☎368・0134