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歴史の風 122 ~浮嶋神社~

歴史の風 122

~浮嶋神社~

 浮嶋神社は、歌枕で名高い浮島の小丘陵上に鎮座しています。この神社が記録に登場するのは平安時代のことで、その内容は延久(えんきゅう)6(1074)年、陸奥国浮島、鹽竈、鳥海の三社に、天皇の身体平安にかかわる祓(はら)いを行わせるというものです。

 一方、江戸時代安永(あんえい)3(1774)年の「浮嶋村風土記御用書出」には、「村鎮守 多賀の神社」「大臣(おとど)神社」とあるのみで、浮嶋神社の名は見えません。神社の名称が多賀神社になった背景として、元禄(げんろく)2・5(1689・1692)年の「鹽竈神社末社関係史料」にその手掛かりが残されていました。浮嶋神社は浮嶋明神として鹽竈神社14末社の一つに数えられていましたが、仙台藩の聞き取りに対し、村役人は、従来浮嶋村には浮嶋明神が祀(まつ)られていましたが、社が老朽化したため寛文(かんぶん)6(1666)年に新築した際、法蓮寺(ほうれんじ)の住職により、以後は多賀之明神として崇(あが)めるようにとのお告げがあり、改称したこと、さらに祭日も10月1日から9月15日に変更したと答えています。こうした記載を裏付けるように、寛文6(1666)年9月15日に神社を再建した際の棟札(むなふだ)が残されていました。また元浮嶋神社禄7(1694)年4月の棟札もあり、いずれも「浮嶋明神社」となっており、藩への回答とは別に、地元では相変わらず浮嶋明神と呼ばれ続けていたことがわかります。

 明治4(1871)年全国的な社格制度に基づき、浮嶋村の総鎮守(そうちんじゅ)は正式に「浮嶋神社」となり、現在に至っています。

(問)埋蔵文化財調査センター TEL368・0134