歴史の風 128 〜古代人と文字〜
歴史の風 128
〜古代人と文字〜
日本で使われている文字は、中国・朝鮮半島から取り入れられました。弥生時代・古墳時代を通して日本に文字が伝わり、古代においては役人層を中心に広まっていったと考えられています。
奈良・平安時代の陸む奥つ国のくに の国府である多賀城とその周辺には、役人や兵士・職人、いろいろな雑用をする人など多くの人々が生活をしていました。市内の遺跡を発掘調査すると、当時の人々が使用した生活の道具類がたくさん出土します。その中に、今回取り上げる墨で文字が書かれた土器(墨書土器(ぼくしょどき))が見つかります。坏(つき)と呼ばれる茶碗形の食器に書かれていることが多く、発見された数は数千点にのぼり、宮城県の中でも突出する出土量です。これは、多賀城が古代律令国家による東北支配の重要拠点であったことと深く関わると思われます。
土器に書かれた文字は、漢字一字や二字だけのものが極めて多く、その内容は、地名(「下野(しもつけ)」・「尾張(おわり)」など)、施設名(「厨(くりや)」・「駅」など)、職名(「舎人(とねり)」など)、人名や姓(「秦(はた)」・「嶋足(しまたり)」など)を表すものなどさまざまな種類があります。
陸前山王駅から南へ約400メートル離れた山王遺跡第214次調査(令和2年調査)では、平安時代に掘られた穴から「南」という漢字の墨書土器が7点出土しました。そのうち2点は、筆跡から同じ人が書いたと思われます。「南」は方位を示す言葉ですが、現在のところ、何の目的で、どういう意味で書かれたのかは分かっていません。