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歴史の風 134 〜古代の国府〜

歴史の風 134

〜古代の国府〜

 国府(こくふ)とは、古代に日本各地の「国(くに)」を治めた役所です。国は概ね現在でいう都道府県に当たります。国府には、都から国司(こくし)という役人が派遣されて、各地で税の徴収や農業の奨励、寺社の管理などを行っていました。国府は国内行政の中枢施設である国庁(こくちょう)、実務を行う官舎群、国司の住まいである館たち、民家などで構成され、地域社会における行政・文化の中心となりました。

 多賀城は奈良時代の724(神亀(じんき)元)年に創建され、陸奥国府(むつこくふ)が置かれていました。陸奥国(むつのくに)は、現在の岩手県南部・宮城県・福島県を範囲とする大国です。蝦夷(えみし)と境を接することから、周囲を築地塀(ついじべい)や材木塀(ざいもくべい)で囲むなど、他の地域の国府には見られない、城柵(じょうさく)としての特徴を備えています。外郭(がいかく)に囲まれた範囲の中央には、国務(こくむ)の重要決定や儀式を行う政庁がありました。

 やがて平安時代になると、多賀城跡の南側に、碁盤目状の道路によって区画された、都のようなまち並みが成立します。このまち並みには、国司をはじめとした役人の住まいや、鍛冶・漆工などを営む工房や庶民の家が立ち並んでいました。多賀城と周囲に広がるまち並みが一体となって、陸奥国府を構成していました。

 また、山王遺跡伏石地区からは「会津郡主政益継(あいづぐんしゅせいますつぐ)」と書かれた木簡(もっかん)が出土しています。主政とは、概ね現在の市町村に当たる郡(ぐん)の役人です。会津郡(現在の福島県会津若松市周辺)の出先機関が多賀城にあり、郡の役人が事務仕事を行っていたことがわかりました。

 このように多賀城跡やその周辺遺跡は、奈良・平安時代における国府の実態や変遷が、発掘調査によって具体的に解明されつつある、全国的にも稀有な事例と言えます。