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歴史の風 135 ~暦と陰陽寮の歴史の風役人~

歴史の風 135

~暦と陰陽寮の歴史の風役人~

 古代、人々の生活に欠かせない暦は天皇から与えられるもので、それを使用することはその支配下にあることを意味しました。この暦を作るためには、高度な天文観察の技術や易学(えきがく)の知識が必要とされ、それを担ったのが暦博士という陰陽寮(おんみょうりょう)に勤める役人でした。陰陽寮は、律令によって整備された機関の一部、中務省(なかつかさしょう)に属する部署で、暦を作る技官のほかにも、吉凶を占う、土地の良し悪しを判断する、時刻を計るといった職務があり、占いや呪術を用いることで広く知られる陰陽師(おんみょうじ)も所属していました。

 この暦博士が作った暦は、日付や干支、月の満ち欠けのほか、さまざまな行動の吉凶なども細かく書き入れられたものでした。そのため、具(つぶさ)に注がある(細かく注が入った)暦、「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれ、爪を切るにも、沐浴(もくよく)をするにも、人々はこの暦に従って日常生活を送ったとされています。

 具注暦は毎年11月1日に天皇に奏上(そうじょう)され、地方の役人が都に行ってそれを書き写し、地方の役所にももたらされました。多賀城跡でも、780(宝亀11)年の暦の一部が発見されており、当時の多賀城の人々も都と同じ暦を用いていたことがわかります。

(問)埋蔵文化財調査センター TEL368-0134