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歴史の風 10 ~伏石~

歴史の風 10

~伏石~

伏石(ふせいし)は、その名のとおり、横たわった供養碑(くようひ)で、市川橋の北約200mの旧塩竈街道の傍(かたわ)らにあります。安政4年(1857年)の『仙台金石志(きんせきし)』には「市川路傍(ろぼう)の碑」と記されているものです。
これは、市内で2番目に古い供養碑で、弘安10年(1287年)に時宗(じしゅう)の僧である西阿弥陀仏が30人あまりの協力のもと建立したことが刻まれています。

名前の由来については、伏せてあったこの碑を起こして立てたところ、市川村に疫病(えきびょう)が流行したそうで、巫女(みこ)に占ってもらったところ元のままにして置いた方がよいと言われて再び伏せたので、伏石と呼んだと伝えられています。
安永3年(1774年)の「風土記御用書出(ふどきごようかきだし)」には、
「市川村塩釜街道脇古碑、長六尺四寸、幅二尺五寸、右者供養石に御座候処、肯山様御代一宮御参詣道に立置候儀、遠慮仕伏置申由、其儘に而指置申候」
とあり、伊達綱村(肯山(こうざん))の鹽竈神社参詣の道筋にあたり、立っていた石を藩主に遠慮して伏せたものであるということが記されています。
この伏石は、戦前、多賀城跡や末の松山とともに絵はがきの題材ともなっており、多賀城を代表する名所としても知られていました。

このように、伏石にまつわる言い伝えは、地域の信仰と街道のたたずまいを今に伝えており、昭和48年に市指定文化財となっています。