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歴史の風 19 ~塩竈街道・南宮町地区の風景~

歴史の風 19

~塩竈街道・南宮町地区の風景~

多賀城市西部にある南宮地区。江戸時代めごろに伊達家家臣成田重勝(なりたしげかつ)が福島県伊達郡から移住した地とされています。この南端部に、周囲より一段高い町地区があります。中央を東西方向に走る旧県道泉塩釜線は江戸時代の塩竈街道であり、当時と位置を変えることなく今日に至っています。北側に新たな県道が開通した現在でも、主要な道路として利用されています。

近年、この街道沿いで多くの発掘調査が実施され、江戸時代の建物や井戸、堀などの痕跡のほか、陶磁器や土人形など生活で使われたさまざまな道具が発見されています。これまでの発掘調査の成果から、江戸時代後半(18~19世紀ごろ)の屋敷の様子を見てみましょう。

場所は、南宮町地区の中央部です。塩竈街道の北側に面した屋敷の中に入ると、すぐ正面に多くの建物が立ち並んでいます。同じ場所には井戸も掘られていることから、街道寄りに住まいが設けられていたことが分かります。30メートルほど北に進むと建物はなくなり、井戸や池、溝がまばらに見られるだけの、広い空間が現れます。井戸が数カ所あることから、畑として利用されていたのかもしれません。一方、敷地の西側に目を向けると、建物に近接して幅4メートルもある大きな堀が、長さ100メートル以上にわたって南北方向に延びています。西隣の屋敷との境をなす区画溝と考えられます。

さて、あらためて現在の街道沿いの様子を見てみると、通りに面した場所には住まいとなる家屋をはじめ、江戸時代末ごろから昭和初めごろにかけて建てられた板倉が数多く立ち並んでいます。奥まった箇所には畑が作られ、野菜や果物などが栽培されています。このような様子は、発掘調査で確認された江戸時代の屋敷をほうふつさせます。

都市化が進む昨今、本市も昔ながらの風景が消えつつあります。このようななか、南宮の街道沿いは今も変わらず歴史ある佇(たたず)まいを残しています。