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歴史の風 29~貞山運河と仙台港~

歴史の風 29

~貞山運河と仙台港~

 明治年(1885年)、野(の)蒜(びる)築(ちっ)港(こう)事業が頓挫(とんざ)すると、物資輸送は鉄道へと移行していきますが、貞山運河を利用した水運はその後も続いていたことを、宮城県庁文書から知ることができます。

 昭和15年(1940年)、内務省仙台土木事務所長金森誠之が「仙塩地方開発総合計画について」を発表し、仙台市苦竹から新田にかけて、旧舟曳堀(ふなひきぼり)の船だまりを浚渫して仙台内港とし、また塩釜港を外港として修築し、連絡水路を貞山運河とする計画を打ち出しました。

 その後、アジア・太平洋戦争が勃発、激化していくと、昭和16年(1941年)に苦竹に東京第一陸軍造兵廠(りくぐんぞうへいしょう)仙台製造所、昭和18年(1943年)に多賀城海軍工廠(かいぐんこうしょう)が建設され、仙塩地方開発総合計画は戦時色を濃くしていきます。その結果、貞山運河は、多賀城海軍工廠への輸送確保、荷役力増強の一躍を担うものとして位置付けられ、昭和18年4月から県営工事として、運河水深を3メートル、幅を50メートルに拡幅するという事業が3カ年継続で行われることとなりました。しかし、戦局の悪化により、事業は用地の買収と一部の浚渫にとどまり、運河の拡幅は実施されなかったようです。

 この計画は、戦後も陽の目を見ることはありませんでしたが、昭和32年(1957年)に仙塩特定地域開発計画が策定されると、これを機に産業基盤整備のための大型港湾整備の必要性を説く議論が出てきます。昭和37年(1962年)には、宮城県により新産業都市仙台湾臨海地域開発計画が策定され、仙台市長浜に港を建設することが公表されました。これは、貞山運河を改修して塩釜港と有機的な連携を図るというもので、仙台港建設事業の原型をなすものでした。

 その後、仙台港建設計画が急ピッチで進められ、昭和39年(1964年)、仙台湾地域の新産業都市指定により仙台港建設が正式決定し、野蒜築港事業以来の新規大型港湾建設事業が着手されることとなりました。これにより、貞山運河は仙台港と接合され、昭和46年(1971年)、仙台港は開港しました。

 このように、仙台港は貞山運河と密接に結びつけられながら計画が練られ、建設されたものでした。