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歴史の風 30 ~運河の石積護岸~

歴史の風 30

~運河の石積護岸~

 砂押貞山運河および砂押川の合流地点、通称「中の島」と呼ばれる中州部分に石積護岸を見ることができます。そのほとんどは、目地にコンクリートが使用されているものですが、震災前には、コンクリートが使用されていない石積護岸が確認されています。

 石積護岸についての歴史をみると、宮城県公文書館所蔵の明治21年(1888年)の「貞山堀改修出来形帳」に、石による護岸費を計上しています。このことから、明治年(1878年)に始まる野蒜築港(のびるちくこう)事業に伴う明治の改修の折、石積護岸を構築しているものと考えられます。

 また、かつて、蒲生北閘門(きたこうもん)付近にも昭和10年1935年)に護岸されたという石積が残っていました。その石積は、平成20年に、仙台市教育委員会によって調査が実施されており、谷積みないし、綾積み状の石積護岸が確認され、目地にコンクリートが使用されていなかったことも判明しています。

 これらのことから、昭和年以前には目地にコンクリートが使用されていない護岸が存在したことがわかります。

 一方、現在見ることのできるコンクリート目地の谷積み護岸はいつ造られたものでしょうか。

 それを示す資料はいまだ発見されていません。

 しかし、谷積みの護岸は、蒲生北閘門の調査でも分かるように、昭和10年以前に貞山運河で採用されて、その護岸は後の時代、他の地点にも受け継がれています。

 石積護岸は、日本の近代化の中で採用された土木構築物であり、日本の近代化を示す遺構として、現在まで引き継がれた貴重な景観ということが言えるでしょう。