1. HOME
  2. コラム
  3. 歴史の風 75 ~柏木神社の明神講~

歴史の風 75 ~柏木神社の明神講~

歴史の風 75

~柏木神社の明神講~

 大代の柏木神社には、神社を信仰し、守っていくことを目的とした明神講(みょうじんこう)という組織があります。現在は多くの氏子の中から約30戸が加入しており、毎年1月27日に神社に集って祈祷(きとう)を受け、一年間の無病息災(むびょうそくさい)や地域の発展を祈っています。

 明神講は戦前から存在していましたが、昭和30年代に入って一時解散したとされています。当時の明神講は、現在の講と様子が大きく異なり、厳しい加入条件などの決まり事がありました。現在は男女問わずに活動をしていますが、昔の明神講は戸主である男性が参加するものとされており、女性が講の集まりに参加することを禁止していました。

 また、加入している家は、古くから大代にある家であり、新しく転入してきた家や、ある程度の財がない家の加入は認められなかったとされています。かつての加入戸数は、25~30戸ともいわれており、年に一回当番の家で集まりが持たれていました。当番はヤド(宿)と呼ばれ、ヤドに当たった家では、ごちそうを作って講員をもてなしました。参加者は羽織袴(はおりはかま)姿の正装で集まり、柏木神社の神職による祈祷が行われたといいます。

 戦後、字元船場(もとふなば)に公民館が建てられると、ヤドをまわすことを止め、ここに会場を移して活動を続けました。この頃になると、講員の数も減り、5~6人の男性が公民館に集まったとされています。それからしばらくして明神講は解散し、その組織は長い間姿を消していました。

 その後、地域の人々から明神講を再興したいという声が上がり、再び講が組織されてからは、以前のような厳しい制限もなく、多くの人々が神社に集うようになりました。祈祷後には、神職を囲んでにぎやかな直会(なおらい)が行われ、心通う仲間内での会話に花が咲きます。

 開かれた組織へと変化した現在の明神講は、より多くの人が神社を身近に感じ、信仰の気持ちを再確認する上で重要な役割を果たしています。