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歴史の風 103 〜冠川神社と稲荷講〜

歴史の風 103

〜冠川神社と稲荷講〜

冠川神社は新田地区の鎮守で、お稲荷様とも呼ばれています。冠川とは、神社のすぐ西を流れる七北田川の別称で、神社の名前もそれに由来すると考えられています。

明治43(1910)年、冠川神社は高橋の大日賣(おおひるめ)神社(大日堂)、南宮の南宮神社、山王の日吉神社とともに、市川の総社宮に合祀されましたが、合祀後も境内地は6人の氏子の名義で保存されたことが境内の記念碑に刻まれています。その後、昭和20年代になると、新憲法が公布されたことに関連して相続上の問題が浮上し、区に返還を求める動きがでてきました。協議の結果、希望者に有償で譲渡されることになり、人々の信仰の場が失われかねない重大な事態に直面しました。

この時、地区の鎮守と境内地を守るために立ち上がったのは、神社周辺の13戸の住民でした。彼らは協力して資金を出し合い、区から土地を譲り受けました。その後はこの13戸が中心となって祭祀や境内の管理を行っており、この集まりを稲荷講と呼んでいます。現在はそのうち11戸が残っており、毎月一日には、この家の女性たちが境内を清掃し、当番が卵と油揚げを供えています。

また、冠川神社については、安永3(1774)年の「風土記御用書出」に村鎮守稲荷社として記載があり、その祭日は9月15日と記されています。しかし、現在の冠川神社の祭日は、かつて総社宮に合祀されたという事情から、総社宮と同じ4月15日で、4月第3日曜日には、神輿が神社の前を通ります。この前日には、稲荷講の男性たちが境内に集まり、前夜祭が行われています。