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歴史の風 131 ~多賀城と古代瓦~

歴史の風 131

~多賀城と古代瓦~

多賀城跡は陸奥国府・鎮守府の役割を担う東北地方の政治・文化の中心でした。約900メートル四方の広さをもつ多賀城内には、政庁をはじめ、実務官衙(かんが)などに数多くの建物が存在していたことが明らかになっています。それらの建物のうち、重要なものには瓦が葺(ふ)かれていたことが分かっています。

瓦が出土する遺跡は、一般庶民が居住する集落とは違い、国の公的な施設や、地方の有力者が建立した寺院などの可能性が指摘されます。

多賀城においては、724(神亀元)年の創建を含め、4時期に渡る建物の変遷が明らかになっており、瓦も同様に4時期の変遷が確認されています。

多賀城創建頃(1期)に葺かれた瓦は、多賀城の前身となる郡山官衙遺跡と類似する瓦を使用しており、現在の大崎市周辺で生産されました。藤原朝獦(ふじわらのあさかり)による改修(2期)では、政庁内の建物が一気に増加し、全ての建物が瓦葺きとなったことから、それに伴い瓦も大量に使用されました。その後、780(宝亀11)年伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)による焼討ちの復旧期(3期)においても、新たな文様の瓦が生産されました。貞観地震による復興期(4期)においては、新羅の瓦工人が生産にあたるなど、多賀城内には長期にわたって瓦を使用した建物が存在していたことがわかっています。また、多賀城と古代瓦多賀城2期以降の瓦生産は、多賀城周辺の仙台市や利府町で生産されました。

瓦を生産することは、大量の物資や人員の確保など、公営で行う一大事業であり、多賀城が政治文化の拠点として瓦葺き建物を維持し続け、威容の一端を表していたのではないかと考えられます。