特別編 第十一章 多賀城南門復元
第十一章
多賀城南門復元
多賀城跡の正面に、巨大な門と築地塀(ついじべい)が姿を現しました。この門と築地塀は、発掘調査の成果から、多賀城跡の施設が最も豪華であったとされる奈良時代後半のものを復元しています。
多賀城碑に刻まれた、天平宝字6(762)年に藤原朝獦(ふじわらのあさかり)によって大規模に改修された当時の姿が、現代に甦よみがえります。
多賀城南門は、桁行(正面の幅)が10.5メートル、梁行(奥行き)6.6メートル、基壇を含めた高さは14.5メートルにも達します。両側に伸びる築地塀も高さ5メートルと大規模であり、かつて東北地方の中心として発展した国府多賀城にふさわしい、堂々たる威容を示しています。
多賀城跡を大規模に改修した朝獦は、石巻市に所在する桃生城(ものうじょう)や秋田県雄物川流域にあったとされる雄勝城(おがちじょう)の造営、陸奥出羽間の連絡路を完成させるなど、蝦夷(えみし)との国境付近の整備を大規模に進めました。
これが、蝦夷との軋轢(あつれき)を大きくし、のちに「38年戦争」と呼ばれる蝦夷との抗争に発展することとなります。



